将冠岳
将冠岳 【2008.12.6】
日時:2008.12.6(日)
CL:平田先生
参加者 させぼの皆様
午前10:00に、野中町のエレナに集合して、将冠岳から佐世保市街地まで歩きました。
テーマは、『MRで行く佐世保の山歩き』です。
この日は、今年初めての雪となりました。
当初、かなり冷え込んで雨の予想でしたので、事前に『雨でも行くのですか?』と『行くよ。』という回答でした。
前日から、雨から雪の予報になりホットしていました。
参加者は、総勢7名です。平田先生の案内のもと、吉岡町から将冠岳へ登ります。
私は、逆に将冠岳から、吉岡町へ下山したことはありますが、登るのは、はじめてです。
吉岡町からの入り口
吉岡町からは、消費者金融の看板を目印に山手の方へ左折します。このあたりは、登山の案内板等は、一切ありませんので、地形図で確認しながら登れば、良い練習になると思います。くれぐれも、止まれのところから左折してくださいね。その先は、ダメですよ。
風神神社
風神神社は、『大切な農作物を台風などの風水害から守るための神様』ということなのでしょうか。
吉岡町近辺は、確かに田んぼや畑が多いようです。
立派な石垣
当時のお屋敷の玄関も保存
このあたりから見える将冠岳は、土砂が崩れたような形をしています。
私の自宅からは、将冠岳がきれいに見えますので、小さい時から、『昔、山が崩れたたんだろうなあ』と感じていました。
一枚岩の砂石です。この道は、車でも通行できるくらいの幅があります。砂岩を砕いて、道を作ったようです。
不明
写真の植物を月桃(げっとう)と教えていただきました。HPで、月桃(げっとう)を確認して、芳香の香りもあったことから月桃と表示していましたが、どうも違うのではないかとご指導を受けました。どなたか、名前をご存知の方は、メールお願いします。
ちなみに私は、月桃にもいくつか種類があるものだと感じていました。
月桃は、観葉植物としても利用されていて、芳香の香りがあります。
防虫効果などもあり、沖縄では、サンニンとも呼ばれ、香り付けを兼ねて饅頭の包装に使用されたり、肉や魚を包んで蒸し焼きにするなど幅広く利用されているようです。
月桃 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ハナミョウガ』ということで、知らせていただきました。ありがとうございます。
常緑の多年草で、葉や茎がミョウガに似ていて花が目立つから花茗荷(ハナミョウガ)となずけられたそうです。
花は、5月〜6月に咲くようですので、その頃、また登ってみます。
『ハナミョウガ』については、(宮崎と周辺の植物)に丁寧なHPがありました。
ところどころに案内板が設置されています。
金毘羅神社
この神社は、地形図に表示されていません。
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られた。現在、金毘羅神社は日本全国に約600社ある。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
イノシシの足跡
イノシシは、かなり警戒心が強い動物と思いますが、最近は頻繁に見かけるようになりました。
登山をしていると、しばしば見かけることがあります。
立派な案内板です。
案内板から中吉峠までは、急な登りとなります。足場もあまりよくありませんので、滑らないように慎重に歩きます。
炭焼き釜の跡です。
中吉峠です。ここから稜線を朝ノ気岳まで歩きます。
途中、赤テープがありますが、読図して地形を見ながら歩けば迷うことはないと思いますが、テープだけにたよっていると、道を誤る可能性があります。
そして、迷ってしまうことも考えられますので、できるだけ読図の練習もかねて、地図とコンパスを使いながら、よく地形を見て歩くようにしましょう。
読図ができるようになるためのコツは、「地形をよく理解している山で、あえて読図を行い、地形図と実際の地形を見比べて見ることです。この繰り返しで、初めての山でも地図とコンパスそして高度計があれば、安全に歩く事ができるようになります。」
『朝ノ木岳』変わった名前の山ですね。
将冠岳の山頂直下は、かなりの急登ですが、太いロープが設置されています。
将冠岳の山頂直下は、岩場となっています。
将冠岳
この日は、今年初めての積雪となりました。
横尾町からの登山口にも立派な案内板があります。ここには、数台の車を駐車することができます。
但馬越は、佐世保の戦国武将、遠藤但馬守(たじまのかみ)を祀る但馬神社への登り口があります。
遠藤但馬守について
但馬岳の公園で休憩です。
7人も参加して、『寒いから登山を中止にしよう』という方は、誰一人いませんでした。
但馬岳からの遠景
シャシャンボと佐世保(サセボ)、響きが似ていますね。
弓張の丘ホテル
以前この地には、弓張観光ホテルがありました。
弓張観光ホテルには、高校3年の合宿勉強で、宿泊した思い出があります。その時、ちょうど風呂に入っている時に、ものすごい雨が降っていました。
その日が、7.23でした。1982年7月23日の長崎大水害です。
新聞もテレビも見ることができずに、状況を知ることもできませんでした。
『43号潜水艦殉職碑』はじめて訪れました。このような事実があったことも知りませんでした。
作家でもあり、佐世保の歴史に精通した小川さんから説明していただきました。
43号が、『四拾弐号』と碑にありました。よく見ると「弐」に1本線が多く、これを3と読ませているとのこと、「参」は、降参で負けることを連想させます。日本軍は、負けないということで、当時「参」を使わなかったという話でした。なるほどです。
九十九島
生きた根の標本
砂岩の階段
はじめて見た標柱でした。面白いですね。
これが佐世保という景色ですね。
SSKの作業中の音がかなり響いてきました。
これも佐世保らしい風景でしょうか?
セイルタワー
海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)は、佐世保市民でも訪れたことがないかもしれませんね。