南八ケ岳

 写真を見ると、ものすごく天気が良いみたいですが、実際は、ガスったり晴れたりの繰り返しでした。
晴れ渡ると、精神的にもだいぶ楽になりますが、ガスってしまうとルートに詳しくない場合などは、特に不安になるものです。

ガスっている状態

 1枚目の写真では、はっきり見えている権現小屋(閉鎖中)もこの写真では、かすかに小屋があると分かる程度です。
厳冬期の山の厳しさを、たまたま晴れた写真やその状態で知ることはできません。
吹雪いた時に、冬山を肌で感じるしかありませんが、くれぐれも安全第一が大切です。

 平成19年12月19日 〜 平成20年1月9日

 ガイド養成講座とスキルアップのための登山のために約3週間八ケ岳に入山しました。

 12月20日 テント泊

  渋の湯から高見石小屋への登山道の脇にテントを張りました。

    21日、22日 黒百合ヒュッテ泊
  
  21日、早朝から高見石小屋まで往復。小屋で朝食。
  スキルアップアカデミーの「積雪期ルートガイディング」の受講 2泊3日

黒百合ヒュッテ付近

   23日 八ケ岳山荘仮眠室

  講習終了後、八ケ岳山荘へ車で移動。荷物の整理。

八ケ岳山荘仮眠室 1泊 2,000円

  

   24日 赤岳鉱泉テント泊

  ジョウゴ沢でアイスクライミングの練習

大同心(右)と小同心

   25日、26日  赤岳鉱泉泊

  25日、26日の両日、アルパイン・ガイド 青兵衛 様 に ジョウゴ沢、峰の松目沢、アイスキャンディーでアイスクライミングの手ほどきを受けました。
  

赤岳鉱泉の食堂のルート案内板

赤岳鉱泉のアイスキャンディー

   27日  赤岳鉱泉テント泊

    27日は、アルパイン・ガイド 青兵衛 様に、赤岳主稜 〜 横岳 〜 大同心ルンゼで、ガイディングの講習をしていただきました。
  夕食のみ赤岳鉱泉で食べて、テント泊。
  赤岳鉱泉の食事は、とても豪華で美味しいですよ。

  大同心

   28日  御小屋尾根 2400m テント泊

  
午前9時頃、ゆっくり出発。大同心稜を登り、大同心ルンゼから横岳へ、赤岳展望荘で、昼食後、赤岳、阿弥陀岳を越えて、御小屋尾根の上部でテント泊。
 雨天が予想されていたので、あまり標高を下げずに、2400mで幕営。夜半からの雪は、雨へ変る。
 今回、新調した『エスパースソロウインター』は、内張りがあったので、多少の雨であれば、フライシートなしでも直接、雨漏れに苦しむことはなかった。
 この時期に、標高2400mで雨になると登山者にとっては、大変です。
 この時の雨が、弱層となっているようですので、雪崩には、注意が必要です。

    中岳(手前)と阿弥陀岳

   29日  八ケ岳山荘仮眠室

   林さんと、合流。
  林さんは、時間をもてあまし、南沢大滝見物に赴くが、時間切れで途中で戻ってきました。
  私は、装備品の洗濯と乾燥で忙しい1日でした。

  
  

  30日  阿弥陀岳南稜 テント泊

 年末年始は、荒天が予想されていましたが、敗退覚悟で阿弥陀岳南稜を目指しました。この日は、我々が最初の入山らしく、途中からラッセルとなりました。森林限界を越えると急激に風が強くなり、体温が奪われていきます。
 ホワイトアウトの中、しばらくねばりましたが、はじめて林さんから先に、下山の意向が伝えられ、名誉の敗退となりました。
賢明な判断であったと思っています。

   2007.12.30 天気図

 降雪の予想は、上空5000m付近(500hpa)で−30℃以下、上空1500m付近(850hpa)が−6℃以下が目安となります。また、上空5000m付近(500hpa)で−36℃以下が大雪の目安となりますので、天気予報でも5000m及び1500m上空の寒気を発表しています。

 2007年の年末〜2008の年始は、登山者を脅かすような天気予報でした。実際に、入山者も少なく赤岳展望荘の宿泊者は、例年の5分の1ということでした。

 過去に2002年の正月山行に鹿島槍ケ岳東尾根を計画したことがありましたが、荒天の予想に山行を中止して、何か自分でも卑怯な感じがしましたが、実際この年に入山した登山者は、極端に少なく、やはり、冬山を登る者の多くが、当たり前のことですけど、天候を適切に判断していると感じました。
 
 2001年末〜2002年始における山の気象の記録(都岳連気象委員会

 現在は、とても便利な時代で、インターネットで過去の天気図等も簡単に見ることができます。山行前に、予想天気図及び寒気予想や現地に入ってから観望天気で天候を判断することは、もちろん大切ですが、実際に入山している時の天気図から、自分が目で見て肌で感じた天候を後日、分析することもとても重要です。この分析を繰り返すことで、予想天気図及び寒気予想観望天気で、過去の経験を踏え、より的確な天候判断ができると考えています。ちょうど、読図と同じだと思っています。日頃、親しんでいる地形を熟知している山域で、読図を勉強して、地形図と実際の地形を見比べることによって、読図ができるようになっていきます。天候も読図も、事前及び事後の学習が大切です。登山は、現地の行動とともに、机上での学習がもとても有効だと感じています。

  阿弥陀岳南稜の記録【H15.12.28  2003.12.28 天気図


  2007.12.30 天気図 と 2003.12.28 天気図 を比較してみてください、2003年の阿弥陀岳南稜は、天気図やHPの写真からも分かるように、冬型の気圧配置が緩んで、雲ひとつない晴天でした。もちろん、寒さに苦しむこともありませんでした。このような日に、登れても厳冬期の冬山の厳しさを知る事はできません。
 むしろ、敗退した山行から、自然の厳しさや美しさを知ることができます。そのような意味からも、我々は今回貴重な体験をしたのかもしれません。
それにしても、林さん、中山尾根なかなか登ることができませんね。、二度とも取り付きまでも行っていませんから。まあ、後の楽しみとっておきましょう。

 よく、気象遭難【2006.10.7の気象遭難 1989年の立山連峰大量遭難 】という言葉を耳にしますが、どんなに優れた登山者であっても、自然を相手にすると無力です。荒天で敗退した登山でしか学べないことも多くありますので、その体験を下に安全登山を実施していきたいものです。

   翌日は、広河原のアイスクライミングルートを見学にいきましたが、時間切れで途中で引き返しました。

林さん(阿弥陀岳南稜にて)

   31日  八ケ岳山荘仮眠室

  林さんは、そのままJRで岐阜の長男のもとへ。
 私は、八ケ岳全山縦走に向けて、装備品の整理。


  
1月1日 
旭小屋 テント泊    

  1日は、休養の予定であったが、1日何もすることがないので、出発することに。
 稜線に出ても吹雪いているので、森林限界の手前でテントをはるつもりで、昼前から出発。
 八ケ岳山荘から舟山十字路までの約6キロは、タクシーを乗らず、車道を歩き1時間30分を要しました。
 西岳への登山道がよくわからず、この日は、旭小屋で寝ました。。
 小屋には、誰もいなかったので、少しでも暖かくするために、小屋の内部にテントを張りました。。

旭小屋にて

   2日  青年小屋冬期避難小屋 テント泊

 旭小屋の正面から、西岳から北西に伸びる尾根に取り付く、尾根に出てから、しばらくするとラッセルとなり、この時から、赤岳までラッセルの連続となりました。
八ケ岳に来てから、積雪量を見て、林さんから、わざわざ長崎から持ってきていただいた「わかん」と今回初めての「ダブルストック」が無ければ、この山行は敗退していたと思います。
積雪期の登山には、「ダブルストック」がかなり有効であると感じた登山でした。

 この日の宿泊も前日同様に、小屋に一人でしたので、小屋内部にテントを張りました。

青年小屋の冬期避難小屋

  3日 キレット小屋 テント泊

  終日、ラッセルの連続。指先が冷えて、痛くてどうしようもなく、股間に手を突っ込み、しばらくすると何とか痛みも取れる。
寒さのために、指先が痛くなった場合に、そのまま登山を継続すると、最悪凍傷で指を無くすことになります。
普段から、手袋をしての作業に慣れておく必要があります。冬山の濡れは、致命傷になりますので、下着や手袋にはとても気を使います。

 この日は、キレット小屋の手前で『カモシカ』を見ました。
八ケ岳で、『カモシカ』を見たのはこれが2回目です。
人を恐れず、なかなか逃げませんので、ゆっくりと観察できますが、寒いですよ。

カモシカ

 4日 赤岳展望荘

  4日目の11時頃に赤岳に到着。なんと赤岳まで4日を要しました。無雪期であれば、1日でも歩ける距離なのですが、年末年始に入山者が少なく、ほとんどトレースの無い状態で赤岳まできました。旭岳東稜からツルネ尾根を下山したと思われるトレースが一部残っていましたが、大変な労力でした。時間がなかれば敗退していた山行です。
 赤岳ではじめて他の登山者を見かけました。

 この日は、寝袋が濡れてしまっていたので、テント泊は諦め、昼前から山小屋に入って、全装備品の乾燥に努めました。

ダウンシュラフの結露について

結露が凍りついてしまったシュラフ

   今回の山行では、ダウンシュラフの結露に悩まされました。以前から結露していたのは、分かっていましたが、今回は山行期間が長かったので、結露に悩みました。
  実は、私の寝汗だけではなく、湯たんぽ代わりに使用していた水筒から水漏れしていたらしく、それも一つの原因でしたが、水筒の使用を中止してもやはり結露していました。
  
   その結果をメーカーに問い合わせたところ

  1.結露は、どうしてもしてしまう。

  2.厳冬期は、ダウンシュラフであっても、シュラフカバーなしでの使用を検討することも解決の一つ。

  3.裏地がないゴアのシュラフカバーは、余計に結露しやすい。

    等でした。

    今後、厳冬期の長期縦走を考慮すると、化繊の寝袋も検討する必要がありますが、何せ重たくて容量が大きくなるので、圧縮してもザックに収納することができるかが問 
   題です。寒さに弱い体質なので、悩むところです。とりあえず、次回の山行は、裏地のあるゴアのシュラフカバーを使ってみます。

   5日  中山 テント泊
    5日目は、赤岳展望荘で知り合った若手の看護士(男性)と共に東天狗まで歩きました。若いのに単独で八ケ岳とは、すごいです。私は、同じ年齢のときには、無雪期の   縦走しか経験がありませんでした。

     彼は、黒百合ヒュッテで宿泊予定でしたので、東天狗で分かれて、中山をめざしました。

富士山


  6日 出逢の辻 テント泊 

   この日は、白駒池を経由して麦草ヒュッテで6時間の大休止。アルバイトの男性にスペイン巡礼の話を聞かせて頂きました。
将来、スペインでの巡礼宿を営業することを目標にしているということです。夢が叶う事を願っています。

 出逢の辻付近にて

  本来、幕営指定地でないとテントを張ることはできません。し尿の問題や、テントを張ることによって踏み固めらた雪の下に植物にダメージが及ぶためです。
スノーシューは、比較的簡単に新雪の上を歩くこともできますが、現在では、登山道のみを歩かなければという考え方もあるみたいです。
これまで以上に、自然への配慮を考えなければと思っています。

  7日 スズラン峠 テント泊

  赤岳から先は、トレースもあり、その先は北八ケ岳ということで気分的にもだいぶ楽でしたが、今まで、週末しか歩くことがなかったので、平日に歩く山は、トレースがなく、北八ケ岳に入ってからもラッセルに苦しみました。
特に、蓼科山へは、最短ルートとして、天祥寺原に一旦降りてからのルートを取りましたが、思わぬラッセルで、スズラン峠から、蓼科山をピストンすることにしました。

北横岳からの坪庭(手前)南八ケ岳

赤岳(真中の最も高い山) 中岳(赤岳の右) 阿弥陀岳(中岳の右)

   8日  下山

    既に8日目で、食料もつきました。先日のラッセルを考えると蓼科山を往復している時間がないように思えてきましたので、今回は、蓼科山をカットして下山することにしまし   た。最後の蓼科山に登らず、全山縦走と言えるかどうか分かりませんが、単独で厳冬期に南から北まで歩いたのは、事実ですので、一応自分では、八ケ岳全山縦走達成し   たと考えることにします。最終的に、八子ケ峰を越えて白樺湖に下山しましたが、最後までラッセルでした。やはり、蓼科山を往復していれば、8日中の下山は無理でした。

白樺湖


 やっと下界に降りれて一安心。

 今回の山行で歩いたルート