下枯木島にて(1996.5)

 今年も5月の連休は、カヌ−。
佐世保市出身の私は、手軽に費用をかけずに楽しむ事ができる。

 今回のカヌ−ツ−リングも、4年連続で平戸一周の旅となった。
4年連続と いってもまだ1度も一周に成功した事はない。


 簡単に過去3回のツ−リングを紹介する。

1996.5 

メンバ− : 末永  Y福くん

  1日目 鹿子前発(6:00)⇒高島⇒神崎鼻⇒平戸大橋下(14:00)泊

  2日目 平戸大橋下発(11:00)⇒下枯木島 (16:00)泊

  3日目 下枯木島発(11:00)⇒黒島 (16:00)泊

  4日目 黒島発(10:00)⇒鼠島⇒鹿子前着(13:00)

 この時は、初めてのロングのカヌ−ツ−リングであった。2人ともかなり疲れ初日の予定は、平戸島北端田ノ浦であ ったが、平戸瀬戸を時間通り通過できず、あえなく計画の変更を余儀なくされた。翌日からは、ゆっくりしに鹿子前に戻ることにした。
 





2日目の宿地とな った下枯木
は、平戸島
町の真中にあり 南側に灯台る 上陸時が干潮 で、ガレ場をカヌ −をかかえて歩くのに苦労した。 
 キャンプの適地とはいえないが満潮時に上陸すれば島の東側真中付近がよい。ただし 、厚手のテントマットが必要。(ライフジャケットで代用可)
                    




焚き火が好きなY福くん(後方)
3日目の宿泊地となった黒は、南側に湧き水と小さな砂浜があり、最高のテントサイトだ。
(ただし、1999.5現在、砂浜がなく   なっていた。)

黒島キャンプ適地(今は砂が流されていてない) 


1997.5


メンバ− : 末永 (単独)

 1日目 平戸城下発(13:30)⇒半元キャンプ場(17:00)泊

 2日目 半元キャンプ場発(8:00)⇒志々伎着(13:00)

 この年は、平戸市の中心地から単独。午前中、雨が強く午後からの出発。5月は天気がかわりやすく、この日も雨は、あがったものの北東の風のため平戸島北端を回り西側に出るまでは、かなり大変だった。平戸島の西側は、断崖絶壁が多く、午前中の雨が、滝となって流れている。おかげで、滝で水あびできさっぱりすることができた。(半元キャンプ場は、5月は、営業しておらず水もなく、使用できるのは、トイレだけ。)
 2日目は、生月瀬戸を通過する。潮の流れは、平戸瀬戸の潮汐表を参考にする。平戸周辺は、多少ずれるが、満潮から干潮にかけて潮は、南西へ流れ、干潮から満潮にかけて北東へながれる。平戸瀬戸、生月瀬戸、宮之浦を通過する際は、必ず転流(潮の流れの方向が変わる時、潮流が完全に止まる。ただし、大潮時は、その時間も非常に短い。)の時間と潮を確認しなければならない。初めての瀬戸もなんなく通過する。昨日の北東の風が、今日は、南西の風に逆転していた。完全に向風となり志々伎湾を時間通り横断できず。転流までに宮之浦まで行けなくなったので、志々伎湾にはいり漁協の船台から上陸した。

 

1998.5

メンバ− : 末永  Y福 くん I川 くん

 1日目 川内峠にて停滞

 2日目 大川原発(6:30)⇒西浜 (14:00)泊
 3日目 西浜泊発(8:30)⇒宮之浦(11:30)⇒大川原着(16:30)

 出発前より初日は、台風並みに荒れ出艇することができないことが分かっていたので、両名に連絡して出発を1日ずらす事を提案してみたが二人とも予定通り行くと言う。私は、行っても初日は行動できないことが分かっていたので行く気になれないが仕方なしに行く。実際の海をみれば、二人とも納得するはずである。
 初日は、荒れに荒れていた。今回のツ−リングでは、カヌ−を積んでの平戸大横断がもっとも恐かった。出艇予定地の京崎鼻にいくと、海は台風並みの荒れようだ。仕事で平戸の隣町田平に3年間住んでいたが、台風以外で海がこんなに時化たのは見た事がない。とりあえず、停滞するためのキャンプ地を求めて京崎鼻公園へ行く。あまりの風雨のために、屋根があるところでないとテントを張る気になれない。結局川内峠にある屋根付き休憩所の2階に張る。それでも、雨で濡れてしまう。この日は、昼間から飲んで、3人でウィスキ−を1本空けてしまった。3人ともかなり酔い、I川くんは、『テントの中で屁をこくのもいい!』と訳の分からないことを行っていた。

  翌朝、飲み過ぎにもかかわら ず大川原を6:30出発。予定の 10:00に宮之浦を通過、昨日の 天気が嘘のようだ。志々伎湾を 横断し、休憩するために西浜を 目指す。相川くんとは、初めてだ ったがパワフルだ。Y福くんは 、飲み過ぎのせいか元気がな い。私はというと、やっとI川く んについていくといった感じだ。  上陸後、Y福くんの疲れが激しく、今日は、西浜で泊ることにした。この地点で、平戸一周はあきらめ、翌日大川原まで戻ることとなった。 西浜は、前津吉へつながる湾口の北側に位置する。正確には、西浜より少し西側の玉砂利にテントを張った。流木が豊富で焚き火のしほうだいだ。焚き火といえば、Y福くんはよほどすきらしく、いつも私が寝てからも2時間位は焚き火の前にいる。

3日目の朝(西浜にて)

  3日目、大川原をめざす。転流 に宮之浦を通過。毎回、瀬戸を 通過するときは、転流なのでこ  こがそうなに潮が流れるのかと バカな事を思う。志々伎山をす  ぎてからは、北東の風をまとも  にうけ、なかなか進まない。途中 何度も休憩して、やっと津吉港  を通過。昨日強かったI川くん が遅れY福くんが元気だ。私は、I川くんの真横で漕ぐ。パドルを見ると向風なのに何とアンフェザ−で漕いでいるではないか、すぐにフェザ−にするように伝えたが、なんと『フェザ−できないんです。』しばらく、I川くんと平漕するが、歩くよりはるかに遅い。岸につけ、ここで止めて歩いて車を取りにいく事を提案するが、I川くんがぜひと最後まで漕ぎたいらしい。あと少しなので、そのまま行く。大幅に遅れ16:30大川原着。

 大川原にて

1999.4.29 〜 5.2

メンバ− : 末永  I川 くん K山さん

 1日目 鹿子前発(12:00)⇒金重島⇒黒島(15:00)泊

 2日目 黒島発(6:30)⇒宮之浦(10:00)⇒頭ノ島(11:00)⇒

      立場島(14:00)⇒半元キャンプ場(18:00)泊

 3日目 半元キャンプ場発(7:30)⇒平戸大橋(10:30)⇒金重島(17:30)泊

 4日目 金重島発(9:30)⇒鹿子前着(10:15)

航 海 軌 跡


  平戸一周への4回目の挑戦。今回のメンバ−は、山友達のK山さん(62歳)とフェザ−を習得したI川くんの3名。K山さんは、山は冬山からクライミングまでこなすベテランだが、カヌ−は、全くの初めて事前に九十九島で練習の予定だったが時間がとれず、とりあえずカヌ−の本を3冊程かして勉強してもらっただけでぶっけ本番となった。4月は、私も仕事が忙しく計画書の作成もぎりぎりとなる。その間、栗山さんからは、何度も電話があった。
「カヌ−で平戸一周」簡単に約束したが、地図を見て心配になったようだ。忙しかったので、電話もゆっくり聞くことができず、悪い事をした。自分が初めてカヌ−に乗った時の事を思えば、心配になるのは当然なのだ。私は、海水浴場で初めてカヌ−に乗った。その時期、トライアスロンの練習で週に2日程泳いでいたにもかかわらず少し恐怖を感じたものだ。それを考えるといきなり130`のツ−リングに出かけるのだから.....。一方、I川くんは、毎日の残業でかなり疲れているようで私としては、栗山さん以上に心配だった。私と栗山さんの2人は、前日より佐世保へ。I川くんは、当日の早朝からの出発前日も10時過ぎまでの残業だったらしい。
 いつもの通り、鹿子前の国民宿舎前からの出艇。とりあえず、栗山さんに、パドルとスプレ−スカ−トの取り扱いを教える。パドルは、I川くんよりアンフェザ−が良いのでは言われたが、かまわずフェザ−のみ教える。フェザ−オンリ−だ。「風がでてきたのでフェザ−にかえてなどと言いたくない。」スプレ−スカ−ト の取り扱いでは、ツ−リング中確認した。K山さんを誘った時から少しでも不安があれば、金重島より先にいかないことはあらかじめ決めておいた。I川くんにもこの事は伝えておいた。「私が行かないと言ったら絶対に行かない。」「私が行くと言っても2人に不安があれば意見を言うように伝えていた。」しかし、後者のような事は、まずありえないと私自身考えていた。『絶対に安全という事はありえないがより安全を常に考えている。工事現場ではないが、安全第一だ。』私とK山さんは2人艇、I川くんは1人艇出発。金重島まで、K山さんにパドリングを教えながら漕ぐ。なかなか息が合わず、男女ペアの2人艇に簡単に抜かれる。I川くんは、それを私たちと思い今後とてもついていけないと思ったようだ。金重島上陸後、多少風があるが予定通りそのまま黒島ヘ行く事を二人に伝え、5分ほどの休憩で黒島ヘ。途中、思った以上に風もなくスム−ズ行く、黒島に近づいたところで風が強くなる。K山さんの帽子が風に飛ばされ、カヌ−をまわして回収するよう試みるが、風が強くうまくいかない。K山さんが、身を乗り出して帽子を取ろうとしたので、もう少しで転覆するところだった。帽子は、あきらめ先を急ぐ。予定より少し遅れ、キャンプ地着。しかし、何か変だ。あっ!砂浜がなくなっている。砂が流されたようだ。砂浜もなく今日から3日間は、大潮なので海岸にテントを張ることはあきらめ、海岸に降りてくる道路の脇に張る。
湧水があるだけましかまだ、海水も冷たいのでやりたくなかったが、K山さんと予定していたセルフレスキュ−の訓練をする。訓練後の私の感想は、『やってよかった。さっき沈せずよかった。』何でも体験しないとね。この日は、3人とも疲れ、7時過ぎには寝ていた。

黒島から志々伎山(カシミールで作成)

 
 2日目は、5時出艇なので3時30分に起きる。夏山並みだ。しかし、食事をしてから後悔したまだ、夜が明けず、準備がやりずらい。焚き火をして30分程時間をつぶす。ようやく6時すぎに明るくなり6時30分に黒島を出発する9時30分に志々伎山のふもとへ到着。宮之浦の瀬戸を予定通りに通過後、頭ノ島へ上陸、朝が早かったせいか3人ともつかれているようで90分ほど仮眠をとる。昼前に今度は、獅子沖の立場島をめざす。2時間30分程で到。
 しばしの休憩後一気に半元キャンプへ、生月大橋も時間通りに通過するが、朝がとにかくはやかったのでかなり疲れている。前回、半元キャンプ場で泊まったときに薪もなかったので半元を目前にして、玉ジャリの浜へ上陸しようと考えたが、何とか6時に半元着。
 3人でテント設営、薪拾いと手際よくすすめ、夕食の牛丼にありついた。食後の酒も焚き火も早めにきりあげ、今日も早めに寝る。う〜ん、今回のカヌーは山なみだ。
 3日目は、平戸大橋通過が10時30分の予定なので7時30分と昨日にくらべればゆっくりしている。だが、カヌーの場合は、朝起きてから食事して出発するまでに2時間30分ほどかかるのでこの日も5時には起床している。
 途中、加戸島前の浜で休憩して平戸瀬戸を時間通りに通過して広瀬灯台先で田平側へ横断する。平戸大橋をこえて潮流を避けたところで昼食をとる昼食といっても山の行動食と同じである。ここで、3人で話し合って一気に九十九島の金重島まで行くことにした。『何とか、なるだろう。』今日まで3日間天気がよかったので3人ともかなり日焼けしている。日ざしが顔にあたたっただけでヒリヒリして痛い。『日焼け止めをしとけばよかった。』田平、江迎、鹿町、小佐々沖をひたすら漕いで九十九島を」めざす。最短にコースをとっていたので小佐々の矢岳では、狭い水路を途中カヌーを抱えながら通過する。浅子と高島の間を通り九十九島へ入る。ここまできて、やっと金重島が見えてきた。最後500メートルは、ラストスパートで5時30分に到着。ここまで、くれば明日は、40分余りでゴールの鹿子前だ。金重の浜は、月見草で一面黄色に染まり、テントを張る場所に困る。妻にに電話をかけて、明日帰ることを告げた。結局、予定より1日短い3泊4日で130キロあまりを漕いだことになる初めてのK山さんは、予想通りに弱音を吐かず、がんばった。とても62歳とは思えない。I川くんも仕事で疲れていたにもかかわらず、強かった。フェザーも克服したので今後もっと新しいことに挑んでもらいたい。私は、4回目にして初めて一気に平戸一週を果たした。終わってみれば、たいしたことないようだが、自然の中のことなので今回が運がよたにすぎない。今後も慎重にかつ大胆に自然と親しみたい。

今回のツーリング使用した潮汐のデータ−