2001.8.13(月) 仙人池からの剣岳(裏剣)

目 的:欅平から新穂高への縦走

期 間:平成13年8月10日(金) 〜 8月16日(金)

メンバー   末永単独

   8月11日(土)      9.3`                                                                                                    

   欅平発 13:45 ⇒ 志合谷 15:25 ⇒ 阿曽原温泉着 17:35   

    10日(金)19:00発の最終便で福岡空港へ。今回も当初の予定では、寝台特急[あかつき]で大阪まで出る予定であったが、仕事の都合でいったんキャンセルしてしまったために再度の予約ができず仕方なく関西空港まで行き、大阪で一泊した後、大阪発7:12のサンダーバード1号で富山をめざす。

    富山駅からは、富山地方鉄道と黒部峡谷鉄道を乗り継ぎ、予定通り欅平に13:27着。欅平では、山菜そばを食べてこれからの水平歩道にそなえる。ところが欅平で登山届けを出すつもりが忘れてしまった。ここに登山届けはあったのだろうか?今回は、所属山岳会へも計画書を送付しておらず、あわてて大阪のホテルからFAXするなど準備段階から少しお粗末のようなので無理をせず慎重に行く。

    欅平から350mほど登って水平歩道に出る。初めての水平歩道は、非常に整備されていたせいか思ったより楽に歩けた。きっと元山岳救助隊であった阿曽原温泉のご主人が整備されているのだと思う。『ご苦労さまです。』水平歩道は、狭い道が黒部川沿いに続く。

黒部川沿いの水平歩道











見た目は恐ろしい感じもするが、非常に整備されていて歩きやすい








水平歩道の「山あじさい」

    2時間ほど歩くと天気予報通り雨となり、先を急ぐ。ようやく阿曽原温泉小屋の屋根が見えたが、到着までそこから25分かかった。











阿曽原温泉小屋

 阿曽原温泉小屋では、楽しみにしていた露天風呂に入る。テント泊でも入浴できるのはありがたかった。


8月12日(日)          7.7`                                                                                                

   阿曽原温泉発 4:20 ⇒ 仙人池ヒュッテ着 11:20   

    2日目は、剣沢キャンプ場までの予定なので、早立ちとなったがいきなり道を誤って仙人ダム(下の廊下方面)まで歩いてしまった。ヘッドランプをつけていなかったことと事前に地図を読んでいなかったことが原因であるが、仙人ダムの管理棟が学校みたいに大きくてビックリしてしまった。こんな山の中に「あんな大きな建物が」と感心してしまった。1時間以上のロスタイムであるが、不思議に苦にはならなかった。

    この日も予定通りに?  雨に降られつらい山歩きとなった。おまけに体調も悪く、やっと仙人池ヒュッテまでたどり着いた。今日は、止みそうにもなく濡れたシュラフに寝たくなかったので、仙人池ヒュッテに泊り、風呂にゆっくり入り、濡れた物をすべて乾かす事にした。

    ここは、プロのカメラマンと間違えるような本格的なアマチュアカメラマンの方々の常宿となっているようだ。裏剣を撮るには、都合の良い山小屋らしい。それとご主人(女性)の人柄にもよるようだ。

   前日に阿曽原温泉でいっしょになった宝塚市の方といっしょに夕食をとる。山の話がいろいろできて楽しい時をすごすことができた。しかし、本当のことを言えば前日に明日はどこまでと聞かれ、『剣沢までと』応えていたので少々バツが悪かった。しかし、そこには、『山は楽しみのために登っているからこれでいい。』と納得する自分がいた。

8月13日(月)     13.5`                                                                                                     

   仙人池ヒュッテ発 5:15 ⇒  二股 6:20 ⇒ 真砂沢ロッジ 7:50剣沢着 10:50
   剣沢発12:00剣岳往復
⇒剣沢着18:00    
  

    前日の 仙人池ヒュッテで、相部屋となった方の一人がアマチュアカメラマンの中でもいびきがすごいということで有名らしく、『覚悟しといた方がいいですよ。』ということだったが、そう気にする事なく十分に休養をとることができてよかった。最初、忠告があった時には、山小屋なんてめったに泊まらなのに自分はなんてついてないんだと思ったが本当に良かった。
    しっかりと仙人池からの裏剣を撮影して、何がなんでも剣沢にたどり着き、剣岳を往復しなければ新穂高までの縦走はできないので気合をいれて出発する。

   

 

仙人池からの剣岳(裏剣)

    真砂沢ロッジまでは、アルペンガイドによれば、3時間40分となっているが、なんと2時間15分で着いてしまった。コースタイム内で歩けない時もあればそれより早く歩ける時もある。体調しだいかなあ。私の場合は、夏山でかつ単独の場合、休憩時間も十分にとった上でちょうどアルペンガイドのコースタイム通りなので計画が立てやすく助かっている。当然、ザックが重たくなればそのかぎりではないが、だいたい25`ぐらいまでなら大丈夫のようだ。

真砂沢ロッジ にて(剣沢雪渓歩きを前にして)

剣沢雪渓

    剣沢の雪渓上部から直接剣沢野営場へ行けるのだが、良く確認しなかったために剣山荘の方へ出てしまった。そのまま剣岳に登ろうかとも思ったが、夕立がきたらいやなのでその前に剣沢にテントを設営してから登った。

テント村となった剣沢野営場

    初めて登る剣岳は、考えていた以上に厳しい気がした。一服剣から見る前剣の岩場は迫力がある。

トリカブト

    問題の登りの「カニノタテバイ」は、しっかりとした鎖場はあるものの一応現役のクライマー?である私も少しビビってしまった。山頂では、あいぬくガスのために視界は十分にきかなかったが、ガスの合間から源次郎尾根等のバリエーションルートの一部を垣間見る事ができた。




















剣岳山頂にて

    下りの「カニノヨコバイ」は、わたしの場合そう問題なかったが、一般的にタテバイよりヨコバイの方が難しいと感じる人が多いようであるがどうだろうか。

    帰りに前剣の下りで滑落事故があったらしく頭部をケガされた方が横たわっていた。隣には、奥さんらしい人もいてかなり心配しているようだ。下までおろすとなる人が必要となるので協力を申し出たが、へリで搬出するらしく人手はこれ以上必要ないということなので先を急ぎ、一服剣からレスキューを見学していた。ガスがわいており、風も若干あったので思った以上にヘリの到着は遅くなり、現場に到着してからも風の関係だろうか少し手間取ったようだ。我々が考えている以上に、3000M級でのへりによるレスキューは、困難のようだ。冬山などは、へりが活動できるのは、条件の良いほんの短い時間なのだろう。その短時間の中で、危険を顧みずレスキュー活動をされているパイロットまた、実際に山に入り活動されている山岳救助隊の方々に敬意を表するとともに、今後も安全登山に心がけたい。

    テント泊の食事は、みんなどのようなメニューを組んでいるのだろうか。定着型と縦走型では、だいぶ違うだろうが。私の場合、とにかく軽量化を考え、アルファ米、フリーズ、ラーメン、インスタントの味噌汁及びスープ等を利用しているが、今回の山行でつづくイヤになった。冬山では、山小屋が営業していないので無理だが、夏山では当然全ての山小屋が営業しているので山小屋と幕営指定地は、概ねすぐ近くなのでテントを張ってから山小屋で食事をした方が良いと思う。その方が、荷物も軽経費面でも安くつくかもしれない。しかし、食事は、ラーメン、うどん、カレー、丼物になると思うが、今回は昼は小屋で食事をとり、朝はスープのみというパターンで夜は、いつもの食事メニューであった。まあ、とにかく次回からは食事の工夫をして山行の一つの楽しみにしたいものだ。

8月14日(火)      15.8`                                                                                                    
   剣沢発 5:15 ⇒ 大汝山休憩所 8:00 ⇒ ザラ峠 12:00 ⇒ スゴ乗越小屋18:00    

    今日はかなりの長丁場になるようだ。スゴ乗越小屋まで行きたいのだが着く事ができるだろうか?

富士ノ折立直下からの雷鳥平

    大汝山休憩所で朝食をと思ったが、まだ準備ができておらずジュースだけ飲み、とりあえず休憩を取る。それにしても腹へったー。

雄山山頂

    雄山の山頂は、入山料がいると聞いていたことと先を急ぐためにパス。それにしても、室堂からの入山者が多い事か。一ノ越までそれらの人々をさけながら下っていく。ここの休憩所で、朝食をとるがカップラーメンしかなかった。

    一ノ越から先は、登山者のみとなりほっとする。景観をゆっくり楽しむこともなくとりあえず、五色ガ原をめざしてひたすら歩く。五色ガ原山荘に12:30に到着。ここで、昼食のカレーを食べる。なかなかおいしい。水分も好きなだけ飲んでとお茶をポットごと出して頂き5杯くらい頂く。この山荘にも風呂があるということで宿泊するかどうか悩んだが、ここに泊まれば新穂高までは行けないことと金銭面を考え、13:30にスゴ乗越小屋向け出発した。最悪7時までには到着できるだろうという考えだ。途中、視界もいまいちでただただ歩くのみだった。越中沢岳手前で、若い単独のテント泊の女性とすれちがう。私よりましだが、五色ガ原まで行くのには少し遅い時間だ。私などは、きっと汚くて汗臭いのだろうが、彼女は、さわやかな感じの人だった。その彼女がこの先、「アップダウンが大変ですよ。」教えてくれたが本当に大変だった。ここまでなんとか天気がもってくれて良かった。スゴ乗越付近で夕立となり雨具を出す。しかし、しばらくすると止むという確信があったので、苦にならず歩く。そして、やっとスゴ乗越小屋についた。しかし、到着時間18:00で夕立直後のためにテントとシュラフを干す事もできずに早々に食事をすませ寝る。


8月15日(水)      17.6`                                                                                                   
   スゴ乗越小屋  5:25 ⇒ 薬師岳 8:30 ⇒ 黒部五郎岳分岐 5:20 ⇒ 黒部五郎岳カールの水場着 5:45  

    今日は、新穂高まで行けるかどうかのカギとなる日だ。予備日は、1日とっているが予備日の消化は考えないことにする。とりあえず太郎平小屋まで行って考える事にしよう。予定よりかなり早いタイムで薬師岳に到着。薬師岳山荘で朝昼兼用の牛丼を食べる。しかし、残念なことにレトルトのようだ。薬師峠のキャンプ場の水がとてもおいし。太郎平小屋まで整備された木道を歩く。小屋は、多くの登山者が休憩していたが、休まずに先を急ぐこの時点でなにがなんでも新穂高まで歩く事をきめた。しかし、小屋をすぎてしばらくして前日から痛んでいた右足の踵が痛くてたまらない。あまりの痛さのためにとうとう歩けなくなってしまった。平坦なところ見つけて、テントを張って乾かすついでに大休止と足の手当てを行う。今まで踵なんて痛くなったことがないのにと思い、見てみると何とトゲがささり少し化膿しているようだ。キャンプ場でぞうりで歩いていてトゲが刺さったのだろう。ナイフをライターで焼いてトゲをとり消毒した後、パットをあてた。そういうわけで今回は、緊急薬品が役にたったが、本当は、使用しないのが一番なのだが。それから1時程昼寝をするとなんとか歩ける気がするので、黒部五郎小舎をめざし先を急ぐが、15:00を過ぎて夕立となり雷鳴も聞こえてくる。おまけに目的地までつけないことを考えて2リットルの水筒を満タンにしていたのだが、破けてしまい水が全くなくなってしまった。まあ、雨がふっているので何とかなるかと安易な考えのもとに先を急ぐ。黒部五郎岳の少し手前で沢登りの3人と出会う。彼らも黒部五郎小舎まで行くようだ。途中、岩の窪みにたまった水を飲む。黒部五郎岳分岐から小舎までは、稜線コースとカールコースがあるが水場があるカールコースを迷わず選ぶ。水場に来たには雨も止んでいたし、テントを張るのにちょうどよい平坦地があったので、小舎までの時間を考え、指定地以外にテントを張る事にした。それから30分して沢登りの3人はテントの横を通りすぎたようだ。ここは、黒部五郎岳のカール地形の底の平坦地だが、何か円形劇場にいるような感じがした。


8月16日(木)      21.1`                                                                                                   
   黒部五郎岳カールの水場発 4:45 ⇒ 黒部五郎小舎 5:45 ⇒ 三俣蓮華岳 7:30 ⇒ 双六小屋 9:20
   鏡平山荘 11:20 ⇒ 小池新道入口 13:35 ⇒ 新穂高温泉着 14:50

    今日がいよいよ最終日である。すでに笠ガ岳はあきらめ小池新道経由で新穂高温泉へ下る事にしている。5時前にパッキングをすませ出発する。途中、すれ違った人に『どこからですか?』と聞かれるのが少々気まずい。とりあえず、黒部五郎小舎をすぎるとその質問はないはずなので先を急ぐ。小舎では、モモ缶を食べエネルギーの補給を行う。

黒部五郎岳のカール地形

    三俣蓮華岳は、富山、岐阜、長野の3県境となっているようだ。九州の祖母山近くにも熊本、大分、宮崎の3県境がある。日本には、3県境はいくつあるのだろうか。また、4県境とか県境とかあるのだろうか。ところで、蓮華の名がつく山は、山頂がなだらくて広いようなきがする。昨年登った針ノ木岳のとなりの蓮華岳もそうだった。











双六岳

    双六岳は、以前西鎌尾根から双六小屋に来た時、眺めたつもりでいたが、山頂手前になだらかな広い台地があるので双六小屋からは見る事ができないことが分かった。

 











鏡平山荘

 双六小屋では、双六ラーメンとご飯それからケーキセットを食べる。ここらは、新穂高温泉までひたすら下る事になる。新穂高までは途中、3人組みが早いペースで後から歩いてくるので、ついつい私のペースも早くなる。鏡平山荘で休憩して、さらに秩父沢で痛めている足を冷やす。以前ここを下った時も足を冷やした記憶があるが、あまりの冷たさになかな十分に冷やせない。初めて日本アルプスに来た時、梓川で泳ぐつもりで水着を持ってきた事がなっかしい。

北鎌尾根

   しかし、今回の小池新道はやたら長く感じられた。ワサビ平小屋で、先程の3人組みの2人と出会う。彼ら2人は、小池新道を走って下っていったのだが、捻挫がくせになっている私にはとてもついていく事ができず離されてしまった2人だ。2人ともそれぞれ単独行の一週間を越える長期の山行らしい。彼らを見ていて『若いっていいなあ』と感じてしまった。まあ、私も今月で37歳になるが、今後は、今以上にがんばって体力をつけなければと思うワサビ平小屋から先は、夏山の恒例となっている最後のランニングを行う。舗装道は、膝に負担となるので未舗装のみを新穂高温泉まで走る。目標にしていた3時の10分前に到着。携帯で高山駅に帰りの寝台特急の空席状態を確認。都合よく「さくら」の空席があったのでまず、バス停の無料の温泉で汗を流した後、高山駅までバスで出て岐阜経由で博多まで出る事にした。翌日、博多から空路対馬へ、1週間ぶりに妻と娘の顔を見て、幸せを感じる自分がいた。

   今回の山行は、少し欲張りすぎたようだ。やはり1日の行程は、2時前には、終了したい。そうしないと、今回のように夕立にあってしまうと、テントとシュラフを乾かす暇もなく山行を継続することになる。それに、テント場でのんびりすごして周りの登山者ともコミニュケーションをはかるのも山行の一つの楽しみのはずだ。夏山の場合、行動時間は、5時から13時までくらいの気持ちで今後は計画を組む事にする。それと、欠かせないのが食事の楽しみなので、工夫が必要だ。

    余談だが、今回話をする事ができた3人の登山者は、九州外の人だったが3人とも屋久島への登山経験があるようだ。後から分かった事だが、屋久島への空路便がかなり増えている。国には、自然破壊するような公共事業に投資するばかりではなく、自然を守り共生できる事業推進をお願いしたい。屋久島は、世界遺産にもなっているのでぜひその環境を維持するための事業推進をお願いしたいと常日頃思っているのだが。そのためには、日本産業構造の変革が必要だろう。新婚旅行で行ったニュージランドの護岸工事がされていない川がなつかしい。