1999.1.1 行者小屋

期 間:平成10年12月29日(火) 〜 平成11年1月3日(日)

メンバー

C L  S山
S L  Jimny山本  末永
記録  K山 N山(博)  H口
装備  N口 K保
会計  T頭
医療  Y野
食料  Y崎(忠)  ヤンマー礼子
                           以上 男性8名 女性4名

日 程 ; 平成10年12月29日(火) 〜 平成11年1月3日(日)

29日  長崎駅 ⇒ 車中泊
30日  茅野駅着 ⇒ 赤岳鉱泉着
31日  赤岳鉱泉 ⇒ 硫黄岳 往復
1日  主稜線縦走組
赤岳鉱泉 ⇒ 硫黄岳 ⇒ 横岳 ⇒ 赤岳
⇒ 文三郎道 ⇒ 行者小屋 ⇒ 赤岳鉱泉
赤岳天望荘 組(往復)
赤岳鉱泉 ⇒ 行者小屋 ⇒ 地蔵尾根 ⇒
赤岳天望荘 ⇒ 地蔵尾根 ⇒ 行者小屋 ⇒赤岳鉱泉
2日  ジョウゴ沢組(アイスクライミング)
阿弥陀岳ピ−クハント
赤岳鉱泉 ⇒ 八ヶ岳山荘
3日  八ヶ岳山荘 ⇒ 茅野駅 ⇒ 名古屋駅 ⇒長崎駅

12月29日
 19:44 発「あかつき」で長崎駅を出発、岡山駅「のぞみ」、名古屋駅 「しなの」、塩尻駅「あずさ」に乗り換え、茅野駅に翌30日の10:27に到着、15時間の長旅。
茅野で早めの昼食をすませ、末永・K山・N口・N山・H口・ヤンマー礼子の6人はテント設営のために、タクシ−2台に分乗して美濃戸口へ。後発のS山・K保・T頭・Y野・Y崎の5人は、食料買い出しの後、バスで向かう。
美濃戸口から赤岳鉱泉までは、林道沿いに約3時間30分。後発隊が到着するまでには、テント設営まで終了して、できたら食事の下準備までと思い。先を急ぐが途中、美濃戸山荘で大休止。
赤岳鉱泉には、K山・N山・末永の順で到着。 さっそく、テントサイトをさがすが、なかなかジャンボ2張りのスペ−スはなく、しかたなく傾斜地を全員で肩を並べ雪を踏む。しかし、さらさらの雪はなかなか固まらない。くぼ地には雪をかぶせ、スコップで傾斜をならす。とうてい納得できるサイトではないが、妥協してここに張る。
結局、設営が終了する前に、後発のS山会長が到着。一瞬、会長の『末永くん、ここはダメ!』の言葉を心配するが、『いいんじゃない。』の一言でほっとする。
入山初日は、全員がテントでゆっくりしたのは、21:00を過ぎていた。食後、朝が早いので早めに休む。

12月31日
 実質的な行動初日となったこの日は、早朝より全員で硫黄岳を往復、午後からは、ほとんどの人が赤岳鉱泉でゆっくりしていた。私は、K山さんとアイスクライミングの練習をする。初めての体験で、オバ−グロ−ブをしてのザイルとカラビナの操作に苦労する。帰り際にアイスクライミング講 習会を30分程見学、勉強になった。
硫黄岳
1月1日
 今日は、主稜線縦走[S山・末永・K山・N山(博)・N口・Y野]と赤岳天望荘 (往復) [H口・K保・ヤンマー礼子]の2班に分かれて行動する。前者は早朝6時より、後者は9時からの行動。
1999年の南八の元旦は、高気圧に覆われ快晴であった。赤岩の頭から初日をみることができた。さすがに硫黄岳の稜線に立つと昨日同様に風が強い。時折、よろけながら歩く。途中あまりに風が強く、しばらく台風姿勢をとってやり過ごす。その時、背中に重みを感じ後ろを見るとN山(博)さんがしがみついていた。
横岳で小休止、写真を撮り、K保さんと無線で連絡をとると行者小屋付近とのこと。
なぜか、N山(博)さんは、山頂で腕立てふせ。
横岳から先は主稜線の中では、最も注意を要する岩場、慎重に登下降する。地蔵尾根の分岐を過ぎ赤岳天望荘へ、ここで大休止をとる。すぐにK保さんとの交信を考えたが、少し暖をとってからと思い小屋へ入る。すると何と中にK保さんがいるではないか。直接、阿弥陀岳に登ると聞いていたので本当にビックリした。もう少しで目と鼻の先を無線で呼ぶところだった。
天望荘の中は、アイゼンをつけたままで入れるように鉄板が敷きつめてあり暖房もきいて暖かい。300円のみ放題の牛乳を5〜6杯飲んだ。
今回の山行では、赤岳鉱泉と赤岳天望荘には大変お世話になった。両小屋には、宿泊してなかったが無料で休憩させて頂きありがたかった。以前、夏に北アルプスへ行ったおり、休憩するだけで300円かかったことがあったので、非常に良心的だと思う。(正月だから特別なのかな。)
1時間以上もの大休止の後、赤岳へ向かう。ここからは、急な登りとなるが、私たちに途中から合流したヤンマー礼さんはひときは元気がいい。赤岳からは、急な文三郎道を降りる。登りに使うとかなりきついはずだ。途中、赤岳主稜のバリエ−ションル−トを何組ものパ−ティ−がとりついるのが見える。次回はぜひ登りたい。
昼すぎには、赤岳鉱泉に戻る。みんなは、昨日同様小屋でゆっくりすごすらしい。末永・K山・Y野の3人でジョウゴ沢に出かける。Y野さんは、しばらくして戻ったが、私とK山さん日が暮れる直前まで練習した。
テントに戻ると、31日までの仕事を終えたJimny山本さんが合流していた。

1月2日
ジョウゴ沢でのアイスクライミング[S山・Jimny山本・末永・K山・Y野]と阿弥陀岳ピ−クハント[K保・N山(博)・ヤンマー礼]の2班に分かれての行動となる。アイスクライミング班は、午前6時にはテントを出る。Jimny山本・K山の2人と末永・Y野・S山の3人でザイルを組む。私は、初めてのアイスクライミングでトップをすることになった。前日と前々日の練習がなければ、どんなにやさしいル−トでもトップは無理だったと思う。とにかく最初はオバ−グロ−ブを装着してからカラビナをハ−ネスからはずすこともできなかった。
寒風にさらされてのアイスクライミングは、想像以上に大変だった。ハ−ネスにギアをかける位置とか、かけ方とか経験が必要だ。

2日の夜も赤岳鉱泉でテント泊の予定であったが、午後から下る事となった。この日は、八ヶ岳山荘に泊り、3日の昼過ぎに長崎に戻ってきた。